»大川小訴訟、遺族らが市議に控訴賛成しないよう働きかけ
あれれ、天災だと思ったら詳しい話を聞きたいと言っても隠し立てする。おかしいと思って生き残った児童に話を聞いたら教頭派と反教頭派が言い争っている間に避難する時間がなくなってしまった。
真相を究明して今後の教訓にするために裁判起こしたんじゃないの?
だったら上級裁に控訴された方が全国に天災時の教訓になっていいんじゃないの?
上級裁にいってひっくり返されるのが嫌になったの?
と勘ぐってしまうわ。
百田尚樹が「こういう判決が出たらこれからは天災時は自己責任で行動してくれ」になる。
と言っていた。
百田は好きじゃないけど今回はそうだと思う。
教頭派と反教頭派が無益な言い争いをしたのも「山に逃げてけが人が出たらどうする」だったそう。
もし津波がこないで山に逃げてケガをした子供がいたら、そっちの方が責任問題になったと思う。
検証して見直さなければいけないのは結果論として間違っていた場合を想定しすぎて非難するチャンスを失ってしまう危険性だと思う。
柴田理恵:私は、もっと昔だったら、学校の先生というのは、子供を助けるためには、自分の勘で「子供を第一に守るんだ!」っていう、その責任感のもとガーッと連れて行ったような気がするんです。今の時代だと、後で大してことなかった時に、「何でわざわざ裏山まで連れて行ったんですか?」って。そこで、子供が怪我でもしたりしたら、またそこでつつかれる。先生たちも、判断に迷う世の中になってきているんじゃないかなって。
伊集院光:うん。
柴田理恵:昔だと、「生徒は自分の子供と一緒」という感覚で。何人背負ってでも、「連れて行け!」っていう人たちばっかりだったから。
伊集院光:そうですね。それが間違った結果になったとして。たとえば、すっ転んで、足の骨を折っちゃった子がいたとしても、それはそれで、先生の判断で仕方ない、という時代も。当然あって。
柴田理恵:そうなんですよ、そうだったと思うけど。今はだから、そこが判断がが難しい。より難しくなっているんだろうな、と。
柴田理恵さんの言う通りだと思う。
先生方だって自分ひとりなら裏山に逃げたけど小1までつれて逃げるのは迷うような山に見える。
町のお偉方の責任逃れの態度は酷いと思うけど、この裁判は何かが違うと思う。
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